楽しむためには基礎教養が必要【感想】漱石と倫敦ミイラ殺人事件
島田荘司氏の作品を読むのはこれで4作目。漱石目線で書かれた「倫敦覚書」と、ワトソンの未発表原稿を交互に記した作品。島田荘司。集英社文庫1994/1/30第11刷。
概要
英国へ留学した夏目漱石は、毎夜、下宿先において亡霊の小言に悩まされていた。
大学へ通う傍らベイカー街に住むとある先生にシェークスピアに関する講義を受けていた漱石は、その先生にこの悩みを打ち明け、そこで同じベイカー街に住むシャーロックホームズを紹介される。
時を同じくしてホームズのもとに相談へ来た未亡人。
その未亡人が言うには、生き別れた弟と再開したのだが、弟が中国において何か呪いをかけられたらしく、奇行が過ぎるとのこと。
未亡人の相談を大して深刻に捉えていなかったホームズのもとに、後日、呪いの通りの事態が起こってしまったという一報が入る。
一夜にして人がミイラになってしまったという前代未聞の事件に頭を悩ますホームズ。
中国に疎いホームズが当時英国では珍しかった東洋人・漱石を巻き込み、事件の真相を解明しようと思考を巡らす。
私的感想
71点。
癖がなく、非常に読みやすい作品の多いイメージがあった島田荘司氏の作品にしては、読破するのに時間がかかってしまった。
感想
ワトソンと漱石の手記が交互に展開する。
同じ事象や場面に対する漱石とワトソンの視点があまりにも異なっていたので、これにミスリードされてしまった。
「叙述トリックがあるのだろう」と思って慎重に読み進めていたのに、蓋を開けたら英国人と東洋人の感じ方の違いに過ぎなかった。
平たく言うと、深読みのしすぎ。
トリック自体は目新しいものでなく、結末も無難。
シャーロックホームズシリーズは、小学生の頃に読んだ覚えがあるだけ。
内容は全く記憶にない。
きちんと記憶に残っていればもっと本作を楽しめたはず。
漱石の作品も「三四郎」を読んだ覚えがおぼろげにあるだけ。
これも楽しみ切れなかった大きな要因。
でも、良作と思えなかった一番の要因はタイトル。
タイトル通りの「殺人事件」として読むと物足りない。
「島田荘司×殺人事件」から抱く作品への期待感が充分に満たされない。
「ひっかかった!」ではなく「なんやそれ」。
あまりオススメはしない。
現在の作品をきちんと楽しむためには、国内外の作品、少なくても名作と呼ばれる作品はミステリーに限らずきちんと読んでおかなければならない、と痛感させられた作品。
自分の好きなものばかり読んでいると、自分の好きなものさえも楽しみ切れない。
色んな作品に触れなければ、一方的で自分勝手な読み方しか出来なくなる。
そんな反省を迫られる一冊でした。