それでも自殺は悪である【感想】自殺自由法

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この著者は「自殺」をどう考えているのか、に興味を持って手にした作品。社会に問題提起したいのか、単なるエンタメ作品の題材なのか。もうちょっと細部を詰めて欲しかった。どうも中途半端な印象が拭えない。戸梶圭太著、中央公論新社刊2004/8/25初版発行。

概要

日本国民は満15歳以上になれば何人も自由意思によって、国が定めたところの施設に於いて適切な方法により自殺をすることを許される。

但し、服役者、裁判継続中の者、判断能力のない者は除外される。

この法律が出来たことにより、各自治体は自逝センター(作中の世界では自殺を自逝と表現)を設置。

自ら死を選んだ人々を集め、最期へと誘う。

自殺が推奨され、自治体自らが大体的に自逝センターの広告宣伝を行う。

そんな日本に住む人々の希望や苦悩を短編的・連作的に描いた作品。

私的評価

64点。

雰囲気や臨場感など、物語を楽しめる作品というよりは、「読み物」として字面を追ってしまう作品。「自殺」というものに対するスタンスが自分と著者で違うからか、どうも納得感がない。

感想

自ら望んで死に向かう人々や、本法律があるが故に死を選ばされてしまう人々などの心理描写が少し甘く感じてしまう。

もっと真に迫ることが出来なかったのか?と少し残念。

また、エンターテイメント作品とすべく採用したのであろう設定もあるが、SFチックになり過ぎてやり過ぎ感が否めない。

そして、最期のオチで「それはあかんやろ」と思ってしまう。

もっと、なるべくしてなった結末というものがあるハズで、タイトルとして「法」を採用する以上、描写すべき、辿るべき、触れるべき、事柄があるかと…

「エンターテイメント作品だから」と言ってしまえばそれまでだが面白さは3割減。

尻すぼみな印象になってしまい、作品としての纏まりがなくなっている。

自分の「自殺」に対する基本スタンスは「どんな事情があろう悪」。

死にたい奴は勝手に死ね。

ウジウジ言うぐらいなら死ねばいい。

本気で死んで欲しい。

生きていれば払っていたハズの、一生分の税金年金を納めて死んでください。

老年なら、納めた年金と貰った年金の差額を返還してから死んでください。

自殺なんて我儘を許すために若い世代は、自らが貰えるかも怪しい年金を払っているわけではないですから。

「命は大切にしろ」

「悲しむやつがおるやろ」

みたいな理由で自殺願望者を止める気なんてさらさらない。

処理等が面倒くさいので「作中にあるような施設があれば」とは思うものの、如何せん自殺が認められる余地は皆無なのでそれも却下。

自殺肯定派の意見としては、「生き死には本人が選ぶもの」「生きるのが苦しい」「尊厳死とのバランス」等々様々あるでしょうが、どの理由を持ち出されようが「じゃ死ね」で終わり。

とっとと死ねばいい。

自殺が「悪」であるという価値判断と、自殺を許容することとは全くの別問題。

“スピード違反は違法である”と「認識すること」と、だからといってスピード違反を「しない・止めないこと」とは別だということ。

刑法には「自殺ほう助」が犯罪として規定されている。

これは、法律が自殺を「犯罪」と捉えていることを意味する。

犯罪であるからこそ、それを手助けした人間も罪に問われる。

「殺人は犯罪だから、殺人を手助けした人間も罪に問われる」というのと同じ。

自殺を犯罪と同等の行為と捉えないと、法律として成り立たない規定が自殺ほう助罪です。

ところが、自殺自体は完遂しようが未遂であろうが、罪な行為として規定されていない。

それは何故か。

単に罰すべき相手がすでに他界している前提の犯罪だからに他ならない。

罰すべき対象がいないので明文化しなかった。

しかし、罪は罪なので、それを手助けした人間は罰すべき。

手助けしただけの人間は生きている前提なので明文化した。

本作のタイトルが「~法」となっているので、こういった部分に少しでも触れてクリアにして欲しかった。

では、なぜ法律がそういった判断をしているのか。

それは、自殺を権利として認めた場合のことを考えれば分かりやすい。

正直「この問題をどう捉えた作品になるのか」が気になって本作を手にしたようなもの。

結果的に、全く触れられていなかったので期待はずれもいいところ。

自殺を権利として認めた場合、自殺を止めようとする行為はどう評価されるのか。

端的に言えば、権利を行使している・しようとしている以上、それを止める行為は「権利の侵害」と評価せざるをえない。

権利を侵害している以上、例えば制止行動が原因で自殺が未遂に終わった場合には損害賠償を支払う義務が生じてしまう。

未遂に終わらなくとも、遺族からの請求は拒否出来ない。

要は、自殺を止める行為・止めようとする行為が「してはいけない行為」となる。

では、自殺を止める行為は「責められるべき行為」なのか?

残された人間がどれだけ悲しもうが、迷惑を被る人間がどれだけそれを避けたかろうが、そんなことは関係ない。

そういった感情を持つこと自体が罪なことになってしまう。

そんな価値観が大多数を占めるに至れば甘んじて受け入れるべきだが、現在はそうではない。

つまり、多くの日本人が「健全だ」と感じる社会を維持するためには、自殺を権利として認める訳にはいかないということ。

自殺を止める行為は、褒められこそすれ責められるべき行為ではないといった価値観が、まだこの日本にはある。

もちろん、自分にも。

だからこそ法律は自殺を犯罪的と判断し、改訂される気配もない。

そして、自分はそれを歓迎する。

以上が、自分が「自殺は悪」だと考える理由です。

すでに人間は2人以上存在し、社会を形成して相互関係の中で生きている以上、生死の選択は、むしろその個人以外の問題。

個人の権利だの何だのばかりを近視眼的に主張して、それに付随する義務や、自身の権利と他人の権利がバッティングする場合のことを考えない連中が多すぎる。

そういう連中に限って、声がデカイし、自分の主張を押し付けてくるんですよね。

そんなことを再認識させてくれる一冊でした。

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